「大谷」をめぐって小旅行!?パート②

前回、ベルテラシェ大谷に寄った投稿をさせて頂きました

車はそのままに歩いて大谷観音へ行く事に

ベルテラシェ大谷を出てすぐに「スタンダード・ベーカーズ」さんにお邪魔しました

美味しそうなパンが待ち受けていました(;^ω^)

お洒落で雰囲気が軽井沢のような?

(個人的な感想になりますが)^_^;

食パン中心に、いくつかパンを購入してお店を出ます

途中で大谷石をモチーフにしたお店を発見。

大谷石のモチーフの「かえる」が可愛らしい感じに

デザインが新進気鋭な感じを受けますね

歩いても5分くらいのところに観音さまの所に到着します

手前には大谷石の名物の「親子がえる」なるものが

僕が子供の頃はどの家でも

玄関先に大谷石でできた「かえる」の置物が

必ず置いてありました

これがルーツなのかな?

と、思いました

何年ぶりに拝見したのか覚えていないくらいに古くから

見ていません

もしかすると小学生の遠足以来 (~_~;)

改めて、拝見すると平和観音ってなんの目的で作ったの?

と、疑問に思っていたんですが

太平洋戦争の時に地元の慰霊の意味を込めて

戦争が終わった昭和23年から6年かけて作った石造で

大谷石採石場跡の凝灰岩層壁面に総手彫りで彫られたそうです

大谷平和観音 – Wikipedia

↑ 興味ある方は参考に(;^ω^)

制作当時の貴重な写真ですね

全て手彫りで創ったのは圧巻です

当時のマンパワーの力強さを感じます

近くに慰霊碑が建っていました

地元の田下(たげ)の亡くなられた方達の名前が奥に掘ってありました


悲しい戦争が終わって亡くなられた方の為に

慰霊碑を造られたと思うとご先祖様たちに感慨深い想いが募ります

僕は子供の頃に遠足で行った事しか頭になくて

あまり深く感じていませんでした

ここ最近は観光で訪れる若い首都圏からのお客様に人気があるようですが

戦争があって、亡くなられた方も大勢日本中に居た中に

その悲しみや悲惨さを忘れないように

慰霊碑と平和の象徴である巨大な石仏を造ると言う信念を

感じずにいられません。

初めて来られた方には

こういった事があるというのも

理解して頂けたらと思う次第です。

最後まで、お付き合い頂きありがとうございます<m(__)m>